ごはんができたよー!!

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エスキモーズの歌唄い、三浦由有の日記。

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インドの旅 4

9/17 インド5日目。
父親に見送られ、アラハバードからベナラシ(バラナシ)を目指す。
ガンジス川の沐浴で有名な場所である。
インド初心者の、自分らだけでの一泊の旅。
頼れるのは、英語力と冒険心だけ。
朝7時半ごろ出発の汽車だったのだが、駅に着いた時点で30分遅れとのこと。
ここからトラウマの「電車待ち地獄」が始まる。


30分遅れの汽車は、1時間経っても来ない。
10車線あるアラハバード駅のホームの、何番線に汽車がくるのかも決まっていないようで、どこで待っていればよいのか分からない。
気温もどんどん上がってゆき気持ちはぐったりしていく。
インド人に混ざってホームに座り込み、汽車を待つ。
インドの汽車のトイレはそのまま線路に垂れ流し方式なので、ホームはとにかく臭いのである。
2時間半待って、ようやく汽車が到着。
インドでは当たり前の遅延である。


ベナラシまではAC3クラス(いわゆる3等車)の車両で移動。
灼熱の下で待っていたので、エアコンの効いた車両がありがたい。
旅の相棒もご機嫌である。


AC3クラスはこんな感じ。
最上段は、これで1つのベッド。
下の席の背もたれは、上に持ち上げると2段目のベッドになり、一番下の席の人はそのまま寝る。
昼間はこのように座席にして、上段ベッドの人も下に降りて来て、一緒に座ることが多い。


アラハバードを離れて、車窓に写るのは田舎風景。
向こうの方に別の汽車が見える。
ぼくはこういう風景が大好きである。
 

世界の車窓から風 #インド #India

ベナラシが近づいて来た。
走行中、汽車の扉は開きっぱなしであった。
車内まで動画で撮ろうと思ったら、修行僧のようなおじさんに行く手を阻まれる。


4時間ほどして、ベナラシ到着。
さすが外国人観光客の多い街、汽車を降りた瞬間、おれのタクシーに乗れ、おれのリキシャに乗れという客引きが始まる。
なんとなくボッタクられそうな予感がしたので、無視して駅を脱出。
さらにやってくる客引きを振り払い、商売っ気の無さそうなサイクルリキシャ(自転車の後ろに数人座れる台車が付いている乗り物)のおじさんに声をかけた。
「メインガート(ガンジス川沿いの沐浴場の中でも一番メジャーな場所)までいくら?」「100ルピー」ということで、安いのか高いの解らずとりあえず乗車。
あとあと分かったのだが、このおじさんはヒンズー語以外喋れず、どこへ行けと言われたのか分からなかったらしい。
なぜか火葬場に連れて行かれた。
そこでは布に包まれた遺体を燃やしていて、なんとも強烈な光景。
それがガンジス川との初対面。


とにかく腹は減っているので、歩いてメインガートを目指すのだが、やたらと遠い!
昼過ぎの太陽は強烈だし、クラクションはうるさいし。
途中道に迷ってしまい、人に聞けばみんな違う方向を教えてくるし、その間に日本語を巧みに操るインド人が「どこへ行く?ガイドするよ?どうした、インド人にだまされたの?おれはだまさないよ?シブヤシンジュクロッポンギ友達いるよ?」なんて声をかけてくるのだ。
うるせーうるせー!
イライラと空腹と暑さで疲労したぼくの顔…。
目指していたレストランを断念して、ドキドキしながらもテキトーに入ったホテルのレストランが、何気にとても美味しかった。


腹が満たされたら穏やかな気持ちになった。
とにかく宿を目指そうと歩き出した。
訪ねた道を信じてゆくと、怪しい裏路地に…。
さらに人通りがどんどんなくなり、裏路地はどんどん細くなり、薄暗い道を歩くこと30分、目指していたSITA GUEST HOUSEに到着。
携帯電話の地図機能が使えないとこうも不便か!と改めて実感。
宿の主人は恰幅のよいオヤジで、なかなかいい人だった。
日本人も何人か宿泊しているそのゲストハウスは、みんな数週間から数ヶ月宿泊しているらしい。
我々は一泊だけなのだが、大変良くしてもらい、ガンジス川が一望できる部屋を用意してくれた。


部屋に荷物を下し、シャワーを浴びてさっぱり。
身軽になって、ベナラシの街をプラプラすることにした。
さっき通った裏路地の商店は、観光客相手にギラギラしているのかと思ったが、意外とそんなこともなく、買い物もけっこう楽しめる。
メインガートに行くと、毎晩行われているという夕方の儀式プジャーの準備が始まっていた。
巡礼者に混ざり座ってプジャーが始まるのを待つ。
隣には立派なヒゲをしたじいさんが座っていたのだが、後々その人が有名なサドゥー(ヒンズー教の苦行僧)の一人だと知った。(ガイドブックに載っていた)
プジャーが始まるころになると、すごい人が集まっていた。
舟の上からも、たくさんの巡礼者や観光客が参加している。
これに参加するために南インドの方から長時間かけて移動して来た人々もいて、辺りでは「見えないぞ、立つな!」「うるさい!だまれ!」などと罵声が飛び交っていた。
人ごみの汗や牛の糞ですごく臭かったのだけれど、儀式のお香の煙が辺り一面覆った瞬間全ての臭いがかき消されて、なんだか異次元にいるような、喧噪から解かれるような思いが印象的だった。


プジャーをあとにする。
すごい汗をかいてる、ぼく。
後ろはすごい数の人々。


ゲストハウスに戻ってきた。
屋上が食堂になっている。
ビールは諸事情でメニューには存在しない。 
しかしビールはいくら?と頼むとどこからかビールが登場する。
つまみはカッテージチーズのフライ。


屋上の食堂には電気が無いので、手探りでビールを飲んだ。
見渡す景色は夜のガンジス川。
下には手漕ぎのボート。
ゲストハウス周辺の屋根には猿がたくさんいて、ガンガンと飛び回っていた。


ガンジス川の日の出、部屋のベランダからの風景。


ロビーのソファでブリーフ一丁で寝ていた宿の主人に舟をチャーターしてもらい、朝のガンジス川に繰り出す。
宿の下もガートの一つで、インド人が沐浴したり洗濯したり歯を磨いたりしていた。


2人の青年が舟を漕いでくれた。
今ガンジス川ではモーター付きの舟以外は認められていないらしいのだが、その辺は暗黙の了解のようである。
そういえばこの日は僕の31歳の誕生日である。
舟漕ぎの青年たちが祝ってくれた。


朝っぱらからバドミントンをするインド人。


シーツみたいなのを洗濯し、土手に干す。
水が茶色いガンジス川なので、薄茶色いシーツが当たり前。
ガンジス川沿いでのインド人の生活が見れる。


1時間程度でゲストハウスのあるガートへ戻って来た。
写真の真ん中にあるのが宿泊していた宿。
出発前に宿の主人は「200ルピーで交渉しといたから」と言った。
舟に乗る前に青年たちに聞いたら300ルピーだと言われた。
でもなんだかんだ感動したのと、手漕ぎで川を逆流するのがあまりにも大変そうだったので500ルピーあげた。
宿に戻って主人に幾らあげたのかと聞かれ、素直に答えたらとても悲しい顔をしていた。
あとであの青年たちが怒られていないといいんだけれど…。


9時に宿をチェックアウト。
アラハバードへの汽車は14時過ぎなので、時間までサールナートへ行くことにした。
サールナートまで、オートリキシャで40分くらい。
イケメンの運転手、おれが案内してやる、最後はベナラシ駅まで送ってやる、と言いながら運転している。
最初の交渉金額から値段を上げる作戦である。
 

街に行くとずっとこんな感じ!

クラクションの街。


サールナートは、ベナラシとは違いゆったりとした田舎町だった。
遺跡のある公園へ。
この中に入ってしまえばとっても静かで平和である。
ブッタが悟りを開いて、それを初めて言葉にした場所というサールナート、ここでそれを聞いていたのはかつての修行仲間とシカなどの動物たちだった…という話があるように、この公園にはシカがたくさんいた。


ダメーク・ストゥーパ、人々はこの周りをぐるぐる回ってお祈りしているようだ。
見物していると、塀の外から物売りの少年たちが声をかけて来た。
さらには有刺鉄線を越えてネックレスだとか楽器だとかを買えと言ってくる。
有刺鉄線には、彼らの破れた服の切れっ端みたいなのが無数にぶら下がっていた。
なかなか大変な仕事だ。


サールナートにはいろんな国のお寺が点在している。
これは日本のお寺らしいのだが…なぜか大仏が寝ている。


スリランカのお寺もよかった。
タイのお寺もよかった。
どこへいっても「案内してあげる」というインド人がついて回ってくる。
サールナートをぐるっと見て周り、ベナラシに戻る事にした。
結局来る時に乗せてもらったイケメン運転手のオートリキシャでベナラシへ戻った。


ベナラシの駅到着。
オートリキシャのイケメン運転手が最後の最後で交渉金額をぐっと上げて来た。
最後の最後で軽くもめる。
汽車の時間まで2時間くらいあったので、駅前の商店を見ながらぶらぶらと歩く。
意外にも観光客向けの店はなく、庶民の雑貨屋や飲食の屋台などが並ぶ。
駅構内の食堂へ入ったのだが、そこも地元民の店だったようで、メニューはすべてヒンズー語、店員も英語が喋れない。
なんで君らがこの店に来たの?みたいな目線に囲まれた。


そこから駅で汽車を待つ。
行きと同じで汽車がなかなかやってこない。
30分遅延、から始まり、最終的には3時間近く待つこととなった。
到着予定のホームがころころ変わるので、ホームを行ったり来たりである。
ベンチが空いていたので座っていると、物乞いがやってきた。
連中のしつこさったらなかった。
無視していると、目の前に座り込んで「金くれるまでどかないもんね!」と言わんばかり。
彼らは決して飢えているわけではなく、これを商売として立派に稼いでいる。
断固としてお金をあげなかったら、今度は懐から札束を出して数え出したのであった。
「君らにもらわなくてもお金たくさん持っているけどね!」と主張しているようで面白かった。
またホームが変更になり、移動して今度はインド人に混ざって地べたに座り込んで待つ。
炎天下の中(40℃ほど)、3時間は正直キツい。
インドで一番大変だったことは、この「遅延汽車を待つ」ことだったのだけれど、「ACクラスを予約している人は、チケットを見せればエアコン付きの待ち合い室に入る事ができるんだよ」と、後々父が教えてくれた。
そ!れ!を!早く教えてくれ!


アラハバードへ帰る汽車もAC3クラスだった。
車掌が切符を見に来たり、売り子がチャイや水やお菓子を売りに来たり、怪しい男が夕飯の注文を聞きにきたり、人が行き交う車両内。
夕飯を注文した人が受取ったそれを見てみると、やはりカレーだった。
おそらく、次の駅で注文を受けてた数のカレーを用意するシステムなんだろう。
夕飯を注文した彼は、カバンからおもむろにタッパー入りのチャパティを取り出し、食べ始めた。
かと思えば今度はお祈りが始まったり。
今回の車両はだいぶ賑やかだった。
ぼくは最上段のベッドで寝っころがりながら、ウトウトしつつも寝れずにいた。
アラハバードの駅にいつ到着するか分からないからである。
車内アナウンスが全く無いので、今どの辺りを走っているのか、どの駅にいるのか、土地勘がないと全く分からない。
駅のホームのどこかしらに、小さく「○○○station」なんて書いてあるのを夜中に見つけるのは至難の業。
既に3時間遅れているから、到着予定時刻なんて当てにならないし、インターネットがつながらないので地図も見れず。
インド人に聞いたら「アラハバードはあと2時間くらいだ」とのこと。
その30分後(!)アラハバードに到着した。
駅じゃないところで汽車が停車したのでトイレついでに外を見に行ったら、向こうの方に小さい駅が見え、長ーーい汽車の半分くらいがその駅に到着していた。
車掌に聞いたら、アラハバード駅だとのこと。
慌てて席に戻り、荷物をまとめて汽車を飛び降りた。(ホームが無いのところに降りたので、本当に飛び降りたという格好になる)
真っ暗の中、線路を歩いて駅に到着。
父の迎えで家に戻った。
庭では、一晩しか咲かない花、月下美人が咲いていた。
遅めの夕飯では、ぼくの誕生日ということで、バタースコッチのケーキが用意されていた。
色々ありすぎたので誕生日だっていう事をすっかり忘れていた。

誕生日メッセージをくれたみなさん、ありがとうございましたー!!



♪BGM『サウンド オブ サイレンス』サイモンとガーファンクル
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Comment








mog>
ありがとうございます!ライブ来てくれたことあるんですね(^o^)
インドでは常にトイレットペーパーを持ち歩いてました、ので結局手で拭くことはないままでしたね。
カレーはチャパティなどがあるので手で食べやすかった、けれど米+カレーは手でトライしたけどあまり上手に食べれませんでした笑
posted by ゆう | 2014/11/18 8:06 AM |
何度かライヴを拝見した事のある者です。
インドでは私は素手でお尻を洗っていました。カレーも素手で。その辺りは如何されていましたでしょうか?
posted by mog | 2014/11/14 6:55 PM |
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