ごはんができたよー!!

ごはんができたよー!!

エスキモーズの歌唄い、三浦由有の日記。

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F

藤子F不二雄のミュージアムへ。


ちゃんと見たことあるのドラえもんとキテレツ大百科くらい、と思っていたけれども、藤子不二雄と知らずに見ていたアニメが結構あった。
子供のころポコニャンとかやっていたなあ。


パーマンがのんびり寝ていて、なんだか羨ましいなあと思った。
| 20:44 | | comments(0) | trackbacks(0) |
青森青森青い森

かみさんの実家、青森へ。
初めて乗るはやぶさ。
駅弁とビールでのんびり3時間の旅。
はやぶさは来年北海道まで伸びるらしい。
新幹線は行ける範囲がどんどん広がっていく。
飛行機嫌いの身としてはありがたいことなので、もう少し値段を安くしてほしい。


新青森駅に到着。
予想はしていたけれど、やっぱり田舎である。
新青森駅から青森駅(市内)へ向かうローカル線がやってきた。


ホテルの向かいには、ねぶたの顔がどどんと食っついている居酒屋さん。
さすが青森!



翌日は、かみさんの高校〜中学校〜実家までの思い出巡りコース。
車移動だけれど、通学で使っていた青い森鉄道も見学。
本人はこれが私鉄だっていう感覚がなかったらしい。


高校近くの美味しいパン屋さんで、家族へのお土産購入。


途中、地元民に大人気のドライブスルー?に立ち寄る。
ここのシェイクが大人気!
ぜったい観光客にはわからないスポット。
地元っ子とのドライブはこういうのが嬉しい。


かみさんの地元は平内町というとこで、陸奥湾の真ん中にとんがっているところの一番先端にある漁師町。
おかあさんがもずくを獲りに行くというのでついて行ったが海の状態が良くないので獲れなかった。
仕方ないので海で遊んでいる間、おかあさんは近所へアワビを分けてもらいに行ってくれた。
さすが漁師町、自分の地元・栃木だとまずありえないことである。


よく「グリコ」していた神社とのこと。
ここの海沿いはずーっと松林が続いていて、その松林はキャンプ場になっているという。
でも地元っ子からしたら、なんでこんなところでキャンプするんだろう、と不思議に思うとのこと。
初めてやってきた身としては、こんな海沿いでキャンプできるなんて最高じゃないかって思うけど、やっぱそこに住んでいる人にとってはそんなありがたいことでもないんだろうなあ。


美味しいごはんをいただき、お墓まいりを済ませたら、平内町を後にする。
青森市内に戻る途中、このあたりでは有名な浅虫温泉地帯を通過する。
ちょうど夕日が綺麗な時間帯、せっかくなので足湯だけ浸かってきた。
このあと、かみさんの高校時代の仲間と飲んだのだけれど、言葉がわからなくて笑い話で置いてけぼり。


最終日、『ねぶたの家ワ・ラッセ』という、青森駅前にある施設へ。
ここは2015年のねぶた祭で活躍したねぶたがたくさん展示してある、まさにねぶたの家なのである。
暗くて広いスペースに大きなねぶたがドドン!と展示されているので、照明具合も祭の時と同じ。
大迫力ある。


ねぶたの太鼓も体験できる。



さて、このあとは青森県立美術館へ!と思ったのに、なんと改装工事中…。
予定を変更し、激渋スポット「棟方志功記念館」へ。
その後は青森グルメなんかを堪能したり、お土産屋さんを見て回っていたらあっという間に帰りの新幹線の時間。
東京では手に入らない青森産焼干しを購入して、さようなら青森!


♪BGM『玄想』SUPER DUMB
| 14:54 | | comments(0) | trackbacks(0) |
乾徳山

「7時45分、登山開始!」
隊長が高らかに宣言し、「松本山岳隊」は山梨県徳和の駐車場を出発した。
メンバーは松本隊長、高橋隊員、三浦隊員(ぼく)の3名である。
この3名はすなわち、ドラムまっちゃん・ベースりゅうちゃん・ぼくのエスキモーズ古株メンバー3人でもある。

目指すは、奥秩父の乾徳山 2,031m。
日本百名山には落選したけれど、日本二百名山には選出されたという、なんともマイナーな山である。
隊長がこの山を選んだ理由、それは「鎖場をガシガシと攻めれる、タフな山をやりたい!」というものであった。
乾徳山は1,800mあたりから岩場が多く、スリリングで楽しいことで有名らしい。
最初は隊長とぼくの二人で登る予定だったが、登山2日前のスタジオ練習でベースりゅうちゃんを勧誘したところ「いやー、最近自然と戯れたくてねー」と入隊を表明。
晴れて松本山岳隊は、「エスキモーズ男子登山倶楽部」の異名を含みつつ、乾徳山に挑む事になったのであった。

駐車場から歩いて20分で登山口に到着、そこからいよいよ山に入って行く。
杉・松の木が深い登山道を登って行く。

まだ序盤だというのにここがなかなかキツくて、体が慣れていないうちからぐんぐんと標高を稼いでいるせいか、あるいは前日の酒と寝不足が原因か(前日遅くに我が家に集合し、晩酌した後3時間睡眠を経て出発したのである)早い段階からバテ気味となった。

高橋隊員は急な招集だったため装備が不完全。
とりあえずリュックとスニーカーでなんとかなるでしょうと登っている。
ふと見るといい具合の杉の枝をストック代わりにしていた。
これがなかなかいい具合の長さで、こいつは下山するまでお供することとなる。

銀水晶・錦水晶という、2つの水場で休憩をしつつ進んでいくと、国師ヶ原に出る。
この辺りになると広葉樹が多くなってくる。
そして目の前には目指す乾徳山の姿が。


若葉の木漏れ日が気持ちいい。
進んで行くとやがて視界が開け、草原のような場所に出た。
草原の真ん中には月見岩というデカい岩が転がっていて、これからの岩場を彷彿とさせる。
振り向けば富士山がドドンとそびえ立つ。

なんて素晴らしい景色だ!
お菓子なんか食べながら休憩していると、銀水晶でも会った夫婦が登ってきた。
この二人は60代70代のカップルで、かなりの健脚健康元気ハツラツカップルだった。
「あなたたち若いんだから、槍ヶ岳もぜんぜん登れるわよー!」なんて言っている。
この「あなたたち若いんだからー」ってのは、その後会った登山客にも頻繁に言われるフレーズであった。
そうか、おれたち若いんだな!

草原のような丘を抜け、再び険しい道のり。

ここからは本格的に岩場が多くなってくる。
だんだんストックも邪魔になってきて、手と足を使ってよじ登る岩も増えてきた。

松本隊長の一言。
「死ぬ訳にはいかねえ。死ぬなら保険をかけてからだっ!!」

隊長は愛する妻と幼い愛娘を横浜に残してきているのである。
死ぬ訳にはいかねえ!


高橋隊員も愛用の杉製ストックを岩の陰に預けた。

乾徳山 頂上前最後の鎖場に到着。
ここを登り切ったらいよいよ頂上!
我々の前にいた人が「先に行ってください。登り方を参考にするので。」と、ここでも若き者扱い。
もう張り切って行くしか無い!
隊長、妻子の運命を背負っていざ!

ぼくも後に続く。
なめてるのか、と怒られるかもしれないが、ぼくは木登りを始めとするあらゆる「よじ登る系」の類いは昔から得意なので、これは案外楽勝であった。
高橋隊員は無事か?
妖怪のようにひょっこり岩の隙間から顔を出した!


松本山岳隊またの名をエスキモーズ男子登山倶楽部、11時30分 乾徳山2,031m登頂成功!

見知らぬおじさんに記念撮影をお願いする。
そのため、なんだかみんな緊張した表情…。

山頂は岩がごつごつとしていて、とても狭かった。


富士山を眺めたり、南アルプスを眺めたりしたのち、早々と下山。

頂上から少し下ったところに、断崖絶壁の見晴らし抜群なスペースがあったので、そこで昼ごはん。
今回不参加のアコ隊員が、早朝に握ってくれたおにぎり2コが各々に配布されている。

隊長はステーキ肉とブロッコリーをガーリックでジュージューと焼き始めた。
山で香るはずの無い、ニンニクの香ばしく焼ける匂いがあたりに広がった。
僕が持参したどん兵衛は、気圧でパンパンである。

ビールがあればこれ以上の幸せは無いよなーなどと言いつつ、遠くの山々を眺めながらのんびりと過ごす。
先ほども述べた通り、我々は寝不足であったため、腹が満たされると心地よい睡魔が襲ってきた。
じりじりと焼き付くような日差しの中、暑い暑いと言いながらやがてイビキをかき始める高橋隊員。
気づけば周りで食事していた登山客も下山してしまっていた。

高橋隊員は一度寝ると落書きされてもビンタされても決して目を覚まさないタイプの人間なので、眠りが深くなる前に叩き起こし、13時出発。


本当にこんなところ登ってきたのか、と感心しちゃうような岩場をズンズンと下ってく。
岩場は登るよりも下るほうが怖いなと感じた。
高橋隊員、岩陰に隠しておいた愛用の杉ストックを無事回収。


険しき道を下りきり、再び草原のような場所に出た。(扇平というらしい)
やっぱここ好きだ、ビールのCMかなんかを撮影できそうだ。
原っぱの真ん中に単独行の鹿がいた。
静かで良い場所だ。

月岩によじ登るふたり。
どこかで見た光景だなあと思ったら、5年前にこの3人で行った釣りキャンプのワンシーンだった。

何気にこの3人組みシリーズはだったりキャンプだったり、過去に何度か出かけている。

国師ヶ原で、無人の山小屋「国師ヶ原高原ヒュッテ」にてトイレ休憩。
この山には有人の施設は一切ない。
有人ではないけれど、有鹿であった。

とにかくあたりは鹿だらけ。
人間慣れしていて、何かもらえるかも、と様子を伺いながら近寄ってくる。
さっきの原っぱにいた単独行の鹿が偉く思える。

国師ヶ原の分岐で、登ってきた道とは別の、道満山方面から下ることになった。
下る、というよりも再び上り坂となり、どうやらそのどこかが道満山山頂1,314mだったらしいのだが、果たしてそれがどこだったのか全く見落としていた。

あれ?どれが登山道なんだ?と不安になってしまう、道無き道満尾根をぐんぐんと下っていく。
なかなか終わらない下り坂に飽き飽きしてきた頃、ずーっと遠くの方で車のクラクションの音が聞こえた。
久々に聞く文明の音だ、なんて話しながら下り続けると、突然民家が立ち並ぶ集落に出た。
ゴールが近い。

高橋隊員愛用の杉ストックもここでおさらば。
握っていたところの皮がキレイに剥がれて、実に使いやすそうな杉ストックに仕上がっている。
この道満尾根ルートから登って行く人もいるだろうから、また誰かに使ってもらえるだろうと、その2本は登山口に立てかけていった。

集落をテクテクと歩き、14時30分 山梨県徳和の駐車場に無事到着。
ザックをおろし、べとべとのTシャツを脱ぎ捨て、登山靴から雪駄へ。
最高の開放感と心地よい疲労。
よし、温泉で汗流してさー蕎麦でも食ってさー、なんてプランも出たが、東京へ戻るための中央道がすでに渋滞しているという情報が入っており、勝沼での温泉をあきらめ東京への帰路についた。


バンドメンバーとバンドのこと一切抜きで、圧巻の景色やウマイ空気に歓喜した一日。
次の日が仕事、という事をのぞけば最高の山行。
3人組シリーズで、またキャンプでもしたい。
いや、エスキモーズメンバーで行っても面白そうだな、でもエスキモーズには土日が仕事だったり虫が苦手だったりする連中がいるから、キャンプ全員集合なんてライヴや普段の練習以上に難しいだろうなあ。
そんなことを思いながら中央道の渋滞をノロノロ進みつつ、東京でバーミヤンと温泉に登山の疲れを癒しつつ解散したのであった。


♪BGM『GOING GOING HOME』H Jungle with t
| 20:13 | | comments(0) | trackbacks(0) |
鎌倉と恐竜

身近のようであまり行かない場所、鎌倉へでかけた。

ぼくは江ノ島電鉄が好きなので、小田急線 藤沢駅からそれに乗り継いだ。
民家スレスレを走ったり、車道を走ったり、浜沿いを走ったりするのを車窓から眺めるのが一つの楽しみだったのだけれど、江ノ電のホームに人が溢れかえっているのを見て、どうやら険しい電車旅になりそうだなと確信した。
二両編成の小さな電車は、観光客をギューギューに詰め込んで、鎌倉へ向けて走り出した。


鎌倉駅から、ビールを飲みながら商店街を歩き、大仏を目指した。
高級肉店で、100g数千円の高級牛肉にビビりつつ、小心者はメンチカツ2ケを買って食べ歩いたり、店先で醤油を塗って網焼きしている匂いにつられて、どデカい海苔煎餅を買って食べ歩いたりした。

海では夕暮れも眺めた。
若い女の子たちがキャッキャしながらまだ冷たい波の中で遊んでいた。


それで、鎌倉で買ってきた物といったらコレ。
おもちゃ屋のような駄菓子屋のようなボロボロでレトロなお店で見つけた恐竜1個30円。
ステゴサウルスとブラキオサウルは良いとして、見てください、左のラプトルやティラノサウルス的な姿をしたヤツ。

ぼくの子供時代の恐竜図鑑には、ティラノサウルスのような二足歩行恐竜は、日本のゴジラのように背筋が立っていて尻尾を地面に引きずりながら歩く姿が一般的で、そのような絵が載っていた。
いつの間にか学説は変わり、背骨は水平で鳥の様に前傾姿勢で立つフォルムが一般的となった。
小学校の時に観た映画『ジュラシックパーク』がまさにそんな姿で、最初は違和感があったものの、スゲーカッコイイ!と改めて惚れ直した由有少年。
たしかに何トンあるかわからない尻尾を引きずりながら歩くなんて、傷つくだろうしスピードは遅くなるだろうから考えられないですよね。

そして鎌倉でゲットしたコイツ。
昔懐かしいフォルムをしている。
少年時代から現代にかけて、恐竜の学説はどんどん変わっているけど、この大きな変化の中を生きてるって凄いなあと改めて実感したのであった。(おおげさ)
今でも、ティラノサウルスに毛が生えてた説など、どんどん色んな説が出てきているのだから、今後も目が離せない恐竜業界である。
しかしスピノサウルスはなんだか好きじゃない。
あいつが二足歩行していたって方が無理ある学説じゃないか!?



?BGM『ティラノサウルスのテーマ(雨降りニコニコソング)』the Bassline
| 07:41 | | comments(0) | trackbacks(0) |
大山

あした山にでも登ろう、と急に思い立った。
手軽に行けて、日のあるうちに帰ってこれるやつ。
そういえば駅になんかの山のパンプレットあったなあと思い出し、もらいに行ってみると丹沢の大山であった。
ロープウェイで登り、山の神社を巡るようなコースが案内されている。
ロープウェイも神社も興味ないので、大山はやめておこうと思ったのだけれど、調べてみたらヤビツ峠から大山山頂まで登って蓑毛まで下ってくる、比較的登山向けのコースがあることを知った。
よしコレだ!と弾丸単独登山計画を決行すべく、ザックに道具を詰め込んだ。


8:55の秦野駅発ヤビツ峠行きのバスに乗り込んだ。
ヤビツ峠からは、去年やった塔ノ岳方面のコースもあるので、バスの中は登山客で混雑していた。
おにぎり一つ食べて、10:00登山開始。

さすがゴールデンウィーク、親子や主婦仲間、学生仲間など、登山口はいろんなグループで賑わっている。
僕は単独での登山だったので、人混みをさけるようにして登って行った。
気づけばかなりのハイペースになり、ぜいぜいと息も荒くなっていた。
街と海を見下ろせる杉林で一休み。


杉林が次第に無くなってゆき、背の低い薮が辺りに増えてきた。
ケーブルカー方面との合流地点で、いきなり渋滞状態になった。

なかにはサンダルと手提げバッグ姿の人も。
ケーブルカーで途中まで来れるとはいえ、さすがに岩の足場では辛そうだった。


とろとろ進み、11:00 大山山頂1,252M到着。
頂上には阿夫利神社の本社(ケーブルカーでいける中腹にあるのは阿夫利神社下社)があり、雨乞いの神として農民の信仰を集めていた場所らしい。
その横には売店があり、かき氷やフランクフルト、そしてサッポロ黒ラベル500円が売っている。
ありがたい話である。(雨乞いの神よりもそちらにありがたみが湧く不謹慎な人は僕だけではなかったはず)

みんなシートを広げてお弁当を食べている。
ぼくも適当な場所を確保し、ビールを飲みながらお湯を湧かす。

山で食べるカップ麺最強説!(スキー場で食べるカップ麺も捨てがたいくらい旨い)
山頂は結構涼しかった。
松本山岳隊隊長が言っていた「汗かいたらこまめに着替えろ!」の言葉を思い出し、汗びっしょりのTシャツを着替え、フリースを着込んだ。

コーヒーを飲んで一息つき、11:40下山開始。
気づけば山頂は凄い人混みになっていた。
来た道を少し戻り、富士見台方面へ下って、蓑毛のバス停まで行く作戦。
ケーブルカー・阿夫利神社下社方面との分岐をすぎると、さっきまでの混雑が嘘のようにだーれもいなくなってしまった。
すれ違った人1人、追い越したグループ2組…あれ?人気ないのかなあ、蓑毛へ降りるコース…。


杉林が深くなってきた。
さらに分岐を蓑毛越え方面へ折れていったのだが、ここからは完全に誰もいなくなってしまった。
道を間違えたのかも?という不安がよぎるが、分岐の標識を信じて孤独の下山を続ける。
途中にあった地蔵菩薩(頭が無い!)がちょっと怖い…。

土がえぐれたカーブを曲がったところでワッ!ビックリ!
おじさんが死角に座りこんでおにぎり食べていた。
ビビったが、人気がないだけで間違った道じゃ無さそうだ。
山頂1,252Mから蓑毛バス停300Mまで、ひたすら下り坂。

いつまで続くんだ、この道…と思っているといきなり蓑毛バス停に出た。
13:35無事下山。
電車に揺られて帰宅すると、まだまだ遅めの昼時であった。
夜はライヴを観に行く予定だったけれど、いつの間にか眠ってしまっていた。

山登りシーズン始まったばかり。
松本隊長が、5月中旬に鎖場のある山 乾徳山をやると言っている。
始まったばかり。




♪BGM『LIGHT』SPECIAL OTHERS ACOUSTIC
| 16:46 | | comments(0) | trackbacks(0) |
日本海のたたかい















♪BGM『Walk Away』Ben Haper
| 10:28 | | comments(0) | trackbacks(0) |
インドの旅 7

夕暮れ時。
ジャイプール駅にて、ニューデリー行きの汽車を待つ。


やって来た。


インドの夕日がどんどん沈んでいく。


ニューデリー行きもチェアーカークラスで移動。
相変わらず、ひたすら食べ物が出てくる。
アーグラー→ジャイプールの時は、ベジタリアンカレーのみだったけれど、今回は「ベジ」か「ノンベジ」が選べた。
ノンベジを注文したら、チキンカレーが出てきた。
これも美味しい!
右のはお馴染みの豆カレー。


夜23時、ニューデリー駅に到着。
サイクルリキシャでメインバザールを駆け抜け、ホテルに到着。
ホテルロビーの外では、路上タトゥー屋さんがジージーと音をたてながら入れ墨を彫っていた。


明日飛行機で日本に帰る、って時になって鏡を見ると、なかなかのひげ面になっていた。
飛行機に乗る前に、無駄に怪しまれると面倒なので、ひげを剃った。


9/23 インド11日目、最終日。
ホテル近くの屋上レストランで朝ごはん。
アラハバードの大学のスタッフで、デリーに来ている人たちと合流した。
アラハバードに忘れてきたぼくの財布を届けてくれた。
感謝感謝!
食事をしているぼくらの横で、レストランの主人はお香を焚きながら、ガネーシャの絵に向かってお祈りをしていた。


ホテルをチェックアウトし荷物を預けたら、街をプラプラと歩いてみた。
路上でヘナタトゥー職人が客引きをしていた。
50ルピーでやってやると言っていたが、途中までやったところで「25mm四方で50ルピーだ、それ以上入れてほしかったらもっとお金くれ!」と言い出した。


インドの楽器屋へ。
1軒目は、日本にも公演しに行ったことがあるというシタール奏者の店だった。
弾かせてもらったが、なかなか難しい。
でも、音色でなんとなくカッコついちゃうんだなと思った。
2軒目は、プロの演奏家のためにシタールを作っているという、シタール職人が仕事の傍らやっている店だった。
うちは観光客向けの店じゃないから、楽器に興味が無い人はお断り!という雰囲気だった。
2軒とも、インドでは珍しく商売っ気の無い感じだった。


3軒目の楽器屋は、それまでの楽器屋とは異なり、ああやっぱりインドだな、という具合のお店だった。
背の低い出っ歯で無口な小さいオヤジと、ニコニコしたガタイの良いオヤジの二人が店番をしていたのだけれど、おそらく店主は別にいるようで、この二人はまったく楽器のことがわかっていないようだった。
手にした楽器を、片っ端から買え買えと言いよってくる。
旅先で見かけたハーモニウムが置いてあったので、試奏させてもらった。
左手で蛇腹を動かして、右手で弾く。
インドのハーモニウム奏者は、この奏法であの愉快なインド音楽を演奏しているのだ。
すごい!


アイルランドのティンホイッスルに良く似た笛が売っていた。
ティン=ブリキではなくて、木?竹?で出来ている笛なのだけれど、指穴の配列は一緒のようだった。
出っ歯のオヤジに、吹いてみて良い?って聞くと、おもむろに笛を取り上げ、ピーピー!と鳴らし「な?鳴るだろ?」みたいな顔をしてきた。
やはり楽器は全くの素人のようだ。
ぼくはオヤジから笛を奪い返すと、エスキモーズの曲なんかを吹いてみた。
ティンホイッスルに比べるとずいぶんと柔らかい音で、ソロなどの単体で吹いたらすごく良さそうな音だ。
あとで聞いたのだけど、ぼくがいきなり笛を軽やかに吹き出したので、店のオヤジが凄く驚いた顔をしていたらしい。
同じ二本の笛を紐でつないだものがあったので、これは何だ?と聞いた。
おそらく出荷時の梱包形状なのだろうな、と予想していたのだけれど、出っ歯オヤジは「こうやって吹くんだ」と二本同時にくわえてシューシュー(息の漏れる音)吹き出した。
絶対に嘘だ!
二本つながっているタイプの方が一本あたり安かったのでそちらを購入。
すぐに紐をちょん切って、一本はバンドの笛吹きおりさにあげようと思った。


ベジタリアンカレーの店で昼ごはんを済まし、外に出るとパレードをやっていた。
リズムの感じがかっこいい!


雑貨屋へ。
一階はハーブの石けんやカレーのスパイスなどが売っている。
二階に上がると、木工職人たちが昼寝をしていた。
日本のアジアン雑貨店などでもよく見る、木彫りのお香立てなどを作っている職人達だった。
日本だと1,000円前後で売っているお香立てが100ルピー(190円くらい)だった。
安い!ということで購入。


この店で、衝動買いしてしまったのが、ブリキのラッパ。
ゴムの丸いやつがついていて、それを押してプップッと鳴らすタイプと、直接口をあてて吹くタイプがあった。
大きさも様々だった。
口で吹くタイプは、ゴムのやつのプップッとは違い、ぷー…という、なんとなく豆腐屋さんを思い出すような音がした。
これはとても良いなあとついつい購入。
あとでリメイクして、音階も出せるように出来ないかなあ、と企み中。
そういえば、椎名誠の「岳物語」でも、インドのブリキのラッパが出てきたような…。


ホテルでチャーターしてもらったデリー空港行きのタクシーまでまだ時間があったので、インド初日にも行ったSAM'S BARへ行き、ビールを飲んだ。
SAM'S BARでは丸々と太ったインド人サム(おそらく彼がサムでしょう)が、いかにも悪そうな顔をしてお金を数えていたりする。
空港までのタクシー(と言っても相変わらずのボロボロ軽ワゴン)から外を眺めると、夕日がボーっと沈んでいった。


空港に着くと、なにもかも近代的でビックリしてしまう。
床もきれい!トイレもきれい!照明が明るい!気温が快適!よってくる物売りや物乞いがいない!
とにかく今までの環境とのギャップに拍子抜けしつつ、安心しつつ、ちょっと寂しくなった。


20時、飛行機へ乗り込んだ。
離陸して、間もなくするとインドのボワーっとしたオレンジ一色の夜景が広がっていた。



♪BGM『United Africa』カセットコンロス
| 22:48 | | comments(0) | trackbacks(0) |
インドの旅 6

9/21 インド9日目、ジャイプール。
タクシーをチャーターしてもらい、郊外へ繰り出す。
山の方へと続く道を、どんどん上がってゆく。


アンベール城に到着。


たくさんの観光客。
それに合わせて、たくさんの物売り、たくさんの物乞い。
ジャイプールはかつて商人の街として栄えていたらしく、そのせいなのかここの物売り達はなかなか手強かった。


入り口にはガネーシャ(頭が象で人の体を持つヒンズー教の神様)のタイル絵が。
イスラム教の色が強いムガル帝国時代の建物なので、宗教が混在しているのがよくわかる。


建物の中は迷路そのもの。
アーグラー城の時同様、冒険みたいで楽しい。


下の方から水をくみ上げる壷たち。


山の上にある城なので、眺めがとても良い。
見た目通り、浮かれている。


父と母。
ぼくは中学校卒業して実家を出てしまったので、こうして1週間以上一緒にいて、しかも旅行したりするなんて15年ぶりだったりするのだ。


蛇使いのおじさん。
城内を回っている最中、この独特な楽器の音が聞こえてきた。
その音はアイルランドのイリアンパイプ(バグパイプの一種)の音に良く似ていて、こんな楽器をバンドに入れたら凄く良いだろうになと思った。
しかし、民芸品のような物はたくさん売っていたけれど、このおじさんのような仕様の楽器はどこにいっても売っていなかった。


アンベール城をあとにし、やってきたのはシティーパレス。
マハラジャ(つまり王様)の宮殿だ。
ここはアンベール城のような遺跡感はなく、博物館のように中が改装されていた。
歴代のマハラジャの写真や、使用していたクリケットの道具などが展示されていた。(スポーツ文化の少ないインドで唯一ポピュラーなスポーツがクリケット)


シティーパレス内のカフェでランチ。
インドのレストランには、カレーの他に「Chinese」メニューを置いているところがけっこうあって、これがまた結構美味しいのである。
焼きそば、チャーハンなどを注文。
我々の知っているそれではなく、なんとなくスパイシーだった。


アルバート・ホールへ。
イギリスの王子、アルバートにちなんで建てられたものらしい。
今は、建物内が博物館となっている。


ここには、絵、食器、武器、昔の生活のジオラマなどが展示されている。
インドのものもあれば、他の国のものもあった。
日本のコーナーもあった。
外国人観光客はほとんどおらず、地元のインド人が遊びに来ている、という印象。


インドの楽器が展示されている中に、マンドリンだったりバグパイプも並んでいた。
イギリス植民地時代のものだろうか。


ジャイプールは、ピンクシティという異名があって、それは町中の建物がピンクっぽい色に塗られているからである。
ジャイプールで驚いたことの一つは、バイク乗り達がヘルメットをちゃんとかぶっているということである。
土地柄なのか。
しかし、改装工事の足場は相変わらず危なっかしい。


ホテルに戻って来た。
昨晩は遅くに到着したのでよく見れなかったけれど、こうしてみるととても豪華だし、これも観光地の一つのように思えてくる。


夕食まで結構時間があった。
と!に!か!く!ビールが飲みたい!と、ホテル屋上のレストランへ。
インドではこの屋上レストラン(roof top restraunt)が主流のようで、建物の屋上にはだいたいレストランがある。
ここジャイプールの気候は、とても暑くて乾燥している、といった印象。
なので、すぐ喉が乾くのである。
まだまだ暑い夕暮れだけれど、時折涼しい風も吹く。
そんななかで飲むビールは最高であーる!


夕食は、ジャイプール郊外にある、アミューズメント的なレストラン(?)へ出かけた。
荒野に突如現れるその野外施設では料理が食べれて、敷地内を歩けば踊り、音楽、人形劇、曲芸、象に乗るなど、あらゆるインドのエンターテイメントが詰まった、なんだか砂漠に佇むオアシスのような、遊園地のような場所だった。
料理はベジタリアンのカレーで、とにかく座っているだけで次々と運ばれてくる。
ここも外国人観光客は少ないようで、金持ちそうなインド人がたくさんいた。


歌や踊りのほかに、民芸品だったり服などのお土産屋さんもたくさんあった。
これは布屋さん。
木彫りのハンコを連続で押して描くテキスタイルを実演していた。


一通り楽しんで、外で帰りのタクシーを待つ。
施設の外には、遊んでいる主を待つ運転手達の溜まり場があって、みんなチャイなんかを飲みながらクリケットの試合のテレビ中継を見ていた。
なんとなく昭和の日本の街頭テレビのようだ。


9/22 インド10日目。
ホテルの朝食は、ビュッフェスタイル。
朝カレー。


ホテルにはプールもある。
西洋人の宿泊者はのんびりとプールサイドで日焼けしていた。
ぼくは、ホテルと提携しているマッサージ店へ出かけた。
アーユルヴェーダ(額にオイルを垂らすやつ)をやってみたかったんだけれど、ホテルチェックアウトの時間に間に合わなさそうだったので、普通のオイルマッサージをやることに。
90分1000ルピー(1900円くらい)。
紙のフンドシ一丁でマッサージしてもらった。
これはとっても良い!が、シャワー設備がないので、オイルまみれでホテルへ帰っていった。
ジャイプールに来てから、なんだかセレブのような日々が続いている。


ホテルをチェックアウト。
ニューデリー駅行きの汽車が16:00なので、昼ごはんを食べに出かけた。
ジャイプールには結構立派なショッピングモールがあるというので行ってみた。
凄く広いモールだったけれど、テナントの半分は空き物件状態だった。
家賃が高いのか、出店希望のショップとハコのサイズが合っていないのか…。
フードコートでは、日本では珍しいプリペイド式だった。
地下一階にはインドでは珍しいスーパーマーケットがあって、入るためにはボディーチェックを受け、カバンなどの荷物を預けなくてはならない。
路上販売や小さい商店が主流のインドでは、こんなだだっ広い敷地で商品を並べるというのが考えられないんだろう。
万引きなどの警戒をしているようだった。
ここではスパイスなどを購入。


汽車の時間までまだまだ時間があった。
オートリキシャを捕まえて、ハワー・マハルへ。
ハワー・マハルは別名「風の宮殿」と呼ばれていて、かつて宮廷の女性たちが、姿を隠しながら街の様子を見れるように建てられた、窓だらけの建物である。


ちょうど日が傾いて、ステンドグラスがきれい。


上まであがってみる。
通りからみると立派な建物だけれど、裏からみると薄っぺらい。
舞台のセットのようだ。


そろそろ汽車の時間だ。



♪BGM『風の市』SOUL FLOWER UNION
| 16:51 | | comments(0) | trackbacks(0) |
インドの旅 5

9/19 インド7日目。
アラハバードにて、インドに来てから初めての、何もしない日。
両親が仕事にでかけたので食料棚を物色、マルちゃん正麺の醤油味を発見。
インドで食べるラーメンは格別に美味しい。


夕暮れになり、散歩へ出かける。
近所の教会で、なにやら歌の練習をしている。
夕暮れにマッチした、いいメロディー


夕飯は、この家で食べる最後のごはん。
クスンが、インドの本場家庭カレーを作ってくれた。
マトンカレーとナマズカレー、クスン秘伝のスパイス調合で、とびっきり美味しかった。
チャパティーも美味しい。
料理を教えてもらえば良かった。


夕飯が済んだら荷物をまとめてアラハバード駅へ。
23:30発の夜行列車でアーグラーを目指す。
夜中でも駅は、たくさんの人で賑わっている。


インド旅で初のAC1クラス、いわゆる一等車。
特徴としては、鍵のかかるコンパートメント(部屋)になっていて、2段ベッドが二つ。
安全のようだけれど、一人で予約すると知らない人と相部屋になったりするらしいので、鍵の無い2等車3等車の方が安全かも?
今回は相部屋ではなかった。


目が覚めると朝日の中の街を走っていた。


朝7時頃、アーグラー駅到着。
駅内の食堂にて朝ごはん。
ドーサというクレープ状のそれには、スパイシーな芋のようなものが入っていて、これも結構美味しかった。


チャイのカップ。
印刷の版がズレズレである。
仕事柄、こういうのは気になってしまう。
日本だったら回収騒動でしょうに。


アーグラーにきた目的はもちろん、メジャー観光スポット タージ・マハルの見物である。
外国人観光客の入場料は750ルピー(1400円くらい)、インド人の入場料は20ルピー(40円弱)。
入場ゲートではボディーチェックが厳しく行われていた。
僕の前に並んでいたインド人が、警備員に凄く怒鳴られていた。
ポケットから出てきたスナック菓子のゴミみたいなのが原因のようだけれど、今思うとあれは薬物か何かだったのかも?


みえてきた。


タージ・マハル!
人気スポットなだけあって、すごい人混みだ。


なにもかもシンメトリー。
タージ・マハルは、イスラム教の建築物なんだけれど、地元のヒンズー教インド人も建築に関わっていたため、所々にヒンズー建築が施されているらしい。(父の解説)


タージ・マハルを間近で。
模様のようなアラビア文字や花の絵は、宝石でできている。


よくみるとカラフル!
中に入ると、意外と狭くて薄暗い。
人混みのせいで、蒸し風呂のようである。
ここは、王妃の墓なのである。
とても贅沢で豪華な墓。


タージ・マハルの中を通り抜けて、裏側へ出て来た。
ここで事件発生…アラハバードのクスンから父に電話が。
「息子さんの財布がまだ家に残ってるんだけど!!」とのこと…!
インドでは、ルピーの札束を輪ゴムで括ってポッケにねじ込んでいたので、財布の存在を忘れていた。
財布事件は、のちに解決するのであった。
とりあえず、ここはクスンに感謝感謝。
写真は、あちゃー!な顔の僕。(でもあまり反省していない)
ちなみに、タージ・マハルは土足禁止。
だから靴カバーを履いている。


タージ・マハルの両脇には、これまた立派な建物が建っている。
隅々までかっこいい。


タージ・マハルから、アーグラー城へ向かう。
本当はラクダに乗りたかったけれど…馬車で移動。
ラクダの運転手は、割高な金額を吹っかけて来たのに、乗らなくていいのか?といつまでもついてきた。


アーグラー城へ。
ムガル帝国時代の城である。


入ってすぐに長い坂が。
敵が侵入して来た時に、ここから大きな石(?)か何かを転がして応戦していたらしい。 
両脇には、弓矢を放つ小窓がある。
インディージョーンズみたいで楽しい。


父と、謎の決めポーズ。
ちなみに、母は一足先にジャイプールへ行っている。


アーグラー城は、建物の中を歩いたり座ったり寝転んだり触ったりしながら、色んな部屋を探検できる。
ぼくはタージ・マハルよりもこっちのほうが楽しかった。
なんだかんだで、じっくり時間をかけてアーグラ城を見物。


ビールでも飲もう、と言って父はオートリキシャをつかまえた。
「AC(エアコン)のあるレストランまで」
この灼熱の国では「ACのある」という言葉が重要なのである。
オートリキシャの運転手は、ぼくらみたいな顔の客を乗せると絶対「どこから来た?どこの国の人だ?」と聞いてくる。
インド生活10年になる父はこの質問に飽き飽きしているようで、毎度回答が適当である。
この時は「From heaven. Do you know heaven?」と、運転手を困らせていた。
レストランに到着しビールを注文すると、案の定、店員がこそこそとどこかへ連絡し、やがてバイクに乗った男がこそこそとよく冷えたビールを運んできた。


レストランをあとにし、アーグラー・カント駅へ。
これが噂の、ACクラスチケットを持っている人しか入れない待合室…!
決して豪華ではないが、暑いホームに座り込んで汽車を待つよりは全然快適だ。(ベナラシ駅での苦労はいずこに…)


とはいえ、なかなか汽車が来ない。
ホームをうろうろしてみたり、駅の外のバザールをうろうろしてみたりして、時間を潰す。
やがて、汽車がやってきた。


アーグラーから、ジャイプールを目指す。
チェアーカーという汽車での移動。
今までの寝台列車とは違い、日本の特急や新幹線のようなリクライニング座席になっている。
ただ、よくみると相当ボロボロな汽車で、座席は雑にペンキ塗装されていた。


チェアーカーの特徴は、フードサービス込みの汽車旅だということ。
まず、お茶、サンドイッチ、お菓子、スープなどが出てくる。
これで終わりかと思いきや、1時間後にカレーが出てきて、そのあとデザートのアイスクリームなんかが出てくる。
アーグラーのレストランで食べ過ぎてしまったので、ぜんぜん食べきれない。
食べ物がどんどん出てくるこの汽車にうろたえつつも、写真のパニール(カッテージチーズ)のカレーは最高に美味しかった。
奥の銀紙に包まれた筒状のものは、丸まったチャパティである。


夜中遅くにジャイプール駅に到着した。
駅に出ると、暗闇からタクシーやオートリキシャの運転手がわらわらと現れ、我々を取り囲んでいった。
オートリキシャで今夜の宿へ向かう。
なんだか立派なリゾートホテル風の宿であった。
ジャイプールには2泊する。


♪BGM『I'm not the only one』Sam Smith
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インドの旅 4

9/17 インド5日目。
父親に見送られ、アラハバードからベナラシ(バラナシ)を目指す。
ガンジス川の沐浴で有名な場所である。
インド初心者の、自分らだけでの一泊の旅。
頼れるのは、英語力と冒険心だけ。
朝7時半ごろ出発の汽車だったのだが、駅に着いた時点で30分遅れとのこと。
ここからトラウマの「電車待ち地獄」が始まる。


30分遅れの汽車は、1時間経っても来ない。
10車線あるアラハバード駅のホームの、何番線に汽車がくるのかも決まっていないようで、どこで待っていればよいのか分からない。
気温もどんどん上がってゆき気持ちはぐったりしていく。
インド人に混ざってホームに座り込み、汽車を待つ。
インドの汽車のトイレはそのまま線路に垂れ流し方式なので、ホームはとにかく臭いのである。
2時間半待って、ようやく汽車が到着。
インドでは当たり前の遅延である。


ベナラシまではAC3クラス(いわゆる3等車)の車両で移動。
灼熱の下で待っていたので、エアコンの効いた車両がありがたい。
旅の相棒もご機嫌である。


AC3クラスはこんな感じ。
最上段は、これで1つのベッド。
下の席の背もたれは、上に持ち上げると2段目のベッドになり、一番下の席の人はそのまま寝る。
昼間はこのように座席にして、上段ベッドの人も下に降りて来て、一緒に座ることが多い。


アラハバードを離れて、車窓に写るのは田舎風景。
向こうの方に別の汽車が見える。
ぼくはこういう風景が大好きである。
 

世界の車窓から風 #インド #India

ベナラシが近づいて来た。
走行中、汽車の扉は開きっぱなしであった。
車内まで動画で撮ろうと思ったら、修行僧のようなおじさんに行く手を阻まれる。


4時間ほどして、ベナラシ到着。
さすが外国人観光客の多い街、汽車を降りた瞬間、おれのタクシーに乗れ、おれのリキシャに乗れという客引きが始まる。
なんとなくボッタクられそうな予感がしたので、無視して駅を脱出。
さらにやってくる客引きを振り払い、商売っ気の無さそうなサイクルリキシャ(自転車の後ろに数人座れる台車が付いている乗り物)のおじさんに声をかけた。
「メインガート(ガンジス川沿いの沐浴場の中でも一番メジャーな場所)までいくら?」「100ルピー」ということで、安いのか高いの解らずとりあえず乗車。
あとあと分かったのだが、このおじさんはヒンズー語以外喋れず、どこへ行けと言われたのか分からなかったらしい。
なぜか火葬場に連れて行かれた。
そこでは布に包まれた遺体を燃やしていて、なんとも強烈な光景。
それがガンジス川との初対面。


とにかく腹は減っているので、歩いてメインガートを目指すのだが、やたらと遠い!
昼過ぎの太陽は強烈だし、クラクションはうるさいし。
途中道に迷ってしまい、人に聞けばみんな違う方向を教えてくるし、その間に日本語を巧みに操るインド人が「どこへ行く?ガイドするよ?どうした、インド人にだまされたの?おれはだまさないよ?シブヤシンジュクロッポンギ友達いるよ?」なんて声をかけてくるのだ。
うるせーうるせー!
イライラと空腹と暑さで疲労したぼくの顔…。
目指していたレストランを断念して、ドキドキしながらもテキトーに入ったホテルのレストランが、何気にとても美味しかった。


腹が満たされたら穏やかな気持ちになった。
とにかく宿を目指そうと歩き出した。
訪ねた道を信じてゆくと、怪しい裏路地に…。
さらに人通りがどんどんなくなり、裏路地はどんどん細くなり、薄暗い道を歩くこと30分、目指していたSITA GUEST HOUSEに到着。
携帯電話の地図機能が使えないとこうも不便か!と改めて実感。
宿の主人は恰幅のよいオヤジで、なかなかいい人だった。
日本人も何人か宿泊しているそのゲストハウスは、みんな数週間から数ヶ月宿泊しているらしい。
我々は一泊だけなのだが、大変良くしてもらい、ガンジス川が一望できる部屋を用意してくれた。


部屋に荷物を下し、シャワーを浴びてさっぱり。
身軽になって、ベナラシの街をプラプラすることにした。
さっき通った裏路地の商店は、観光客相手にギラギラしているのかと思ったが、意外とそんなこともなく、買い物もけっこう楽しめる。
メインガートに行くと、毎晩行われているという夕方の儀式プジャーの準備が始まっていた。
巡礼者に混ざり座ってプジャーが始まるのを待つ。
隣には立派なヒゲをしたじいさんが座っていたのだが、後々その人が有名なサドゥー(ヒンズー教の苦行僧)の一人だと知った。(ガイドブックに載っていた)
プジャーが始まるころになると、すごい人が集まっていた。
舟の上からも、たくさんの巡礼者や観光客が参加している。
これに参加するために南インドの方から長時間かけて移動して来た人々もいて、辺りでは「見えないぞ、立つな!」「うるさい!だまれ!」などと罵声が飛び交っていた。
人ごみの汗や牛の糞ですごく臭かったのだけれど、儀式のお香の煙が辺り一面覆った瞬間全ての臭いがかき消されて、なんだか異次元にいるような、喧噪から解かれるような思いが印象的だった。


プジャーをあとにする。
すごい汗をかいてる、ぼく。
後ろはすごい数の人々。


ゲストハウスに戻ってきた。
屋上が食堂になっている。
ビールは諸事情でメニューには存在しない。 
しかしビールはいくら?と頼むとどこからかビールが登場する。
つまみはカッテージチーズのフライ。


屋上の食堂には電気が無いので、手探りでビールを飲んだ。
見渡す景色は夜のガンジス川。
下には手漕ぎのボート。
ゲストハウス周辺の屋根には猿がたくさんいて、ガンガンと飛び回っていた。


ガンジス川の日の出、部屋のベランダからの風景。


ロビーのソファでブリーフ一丁で寝ていた宿の主人に舟をチャーターしてもらい、朝のガンジス川に繰り出す。
宿の下もガートの一つで、インド人が沐浴したり洗濯したり歯を磨いたりしていた。


2人の青年が舟を漕いでくれた。
今ガンジス川ではモーター付きの舟以外は認められていないらしいのだが、その辺は暗黙の了解のようである。
そういえばこの日は僕の31歳の誕生日である。
舟漕ぎの青年たちが祝ってくれた。


朝っぱらからバドミントンをするインド人。


シーツみたいなのを洗濯し、土手に干す。
水が茶色いガンジス川なので、薄茶色いシーツが当たり前。
ガンジス川沿いでのインド人の生活が見れる。


1時間程度でゲストハウスのあるガートへ戻って来た。
写真の真ん中にあるのが宿泊していた宿。
出発前に宿の主人は「200ルピーで交渉しといたから」と言った。
舟に乗る前に青年たちに聞いたら300ルピーだと言われた。
でもなんだかんだ感動したのと、手漕ぎで川を逆流するのがあまりにも大変そうだったので500ルピーあげた。
宿に戻って主人に幾らあげたのかと聞かれ、素直に答えたらとても悲しい顔をしていた。
あとであの青年たちが怒られていないといいんだけれど…。


9時に宿をチェックアウト。
アラハバードへの汽車は14時過ぎなので、時間までサールナートへ行くことにした。
サールナートまで、オートリキシャで40分くらい。
イケメンの運転手、おれが案内してやる、最後はベナラシ駅まで送ってやる、と言いながら運転している。
最初の交渉金額から値段を上げる作戦である。
 

街に行くとずっとこんな感じ!

クラクションの街。


サールナートは、ベナラシとは違いゆったりとした田舎町だった。
遺跡のある公園へ。
この中に入ってしまえばとっても静かで平和である。
ブッタが悟りを開いて、それを初めて言葉にした場所というサールナート、ここでそれを聞いていたのはかつての修行仲間とシカなどの動物たちだった…という話があるように、この公園にはシカがたくさんいた。


ダメーク・ストゥーパ、人々はこの周りをぐるぐる回ってお祈りしているようだ。
見物していると、塀の外から物売りの少年たちが声をかけて来た。
さらには有刺鉄線を越えてネックレスだとか楽器だとかを買えと言ってくる。
有刺鉄線には、彼らの破れた服の切れっ端みたいなのが無数にぶら下がっていた。
なかなか大変な仕事だ。


サールナートにはいろんな国のお寺が点在している。
これは日本のお寺らしいのだが…なぜか大仏が寝ている。


スリランカのお寺もよかった。
タイのお寺もよかった。
どこへいっても「案内してあげる」というインド人がついて回ってくる。
サールナートをぐるっと見て周り、ベナラシに戻る事にした。
結局来る時に乗せてもらったイケメン運転手のオートリキシャでベナラシへ戻った。


ベナラシの駅到着。
オートリキシャのイケメン運転手が最後の最後で交渉金額をぐっと上げて来た。
最後の最後で軽くもめる。
汽車の時間まで2時間くらいあったので、駅前の商店を見ながらぶらぶらと歩く。
意外にも観光客向けの店はなく、庶民の雑貨屋や飲食の屋台などが並ぶ。
駅構内の食堂へ入ったのだが、そこも地元民の店だったようで、メニューはすべてヒンズー語、店員も英語が喋れない。
なんで君らがこの店に来たの?みたいな目線に囲まれた。


そこから駅で汽車を待つ。
行きと同じで汽車がなかなかやってこない。
30分遅延、から始まり、最終的には3時間近く待つこととなった。
到着予定のホームがころころ変わるので、ホームを行ったり来たりである。
ベンチが空いていたので座っていると、物乞いがやってきた。
連中のしつこさったらなかった。
無視していると、目の前に座り込んで「金くれるまでどかないもんね!」と言わんばかり。
彼らは決して飢えているわけではなく、これを商売として立派に稼いでいる。
断固としてお金をあげなかったら、今度は懐から札束を出して数え出したのであった。
「君らにもらわなくてもお金たくさん持っているけどね!」と主張しているようで面白かった。
またホームが変更になり、移動して今度はインド人に混ざって地べたに座り込んで待つ。
炎天下の中(40℃ほど)、3時間は正直キツい。
インドで一番大変だったことは、この「遅延汽車を待つ」ことだったのだけれど、「ACクラスを予約している人は、チケットを見せればエアコン付きの待ち合い室に入る事ができるんだよ」と、後々父が教えてくれた。
そ!れ!を!早く教えてくれ!


アラハバードへ帰る汽車もAC3クラスだった。
車掌が切符を見に来たり、売り子がチャイや水やお菓子を売りに来たり、怪しい男が夕飯の注文を聞きにきたり、人が行き交う車両内。
夕飯を注文した人が受取ったそれを見てみると、やはりカレーだった。
おそらく、次の駅で注文を受けてた数のカレーを用意するシステムなんだろう。
夕飯を注文した彼は、カバンからおもむろにタッパー入りのチャパティを取り出し、食べ始めた。
かと思えば今度はお祈りが始まったり。
今回の車両はだいぶ賑やかだった。
ぼくは最上段のベッドで寝っころがりながら、ウトウトしつつも寝れずにいた。
アラハバードの駅にいつ到着するか分からないからである。
車内アナウンスが全く無いので、今どの辺りを走っているのか、どの駅にいるのか、土地勘がないと全く分からない。
駅のホームのどこかしらに、小さく「○○○station」なんて書いてあるのを夜中に見つけるのは至難の業。
既に3時間遅れているから、到着予定時刻なんて当てにならないし、インターネットがつながらないので地図も見れず。
インド人に聞いたら「アラハバードはあと2時間くらいだ」とのこと。
その30分後(!)アラハバードに到着した。
駅じゃないところで汽車が停車したのでトイレついでに外を見に行ったら、向こうの方に小さい駅が見え、長ーーい汽車の半分くらいがその駅に到着していた。
車掌に聞いたら、アラハバード駅だとのこと。
慌てて席に戻り、荷物をまとめて汽車を飛び降りた。(ホームが無いのところに降りたので、本当に飛び降りたという格好になる)
真っ暗の中、線路を歩いて駅に到着。
父の迎えで家に戻った。
庭では、一晩しか咲かない花、月下美人が咲いていた。
遅めの夕飯では、ぼくの誕生日ということで、バタースコッチのケーキが用意されていた。
色々ありすぎたので誕生日だっていう事をすっかり忘れていた。

誕生日メッセージをくれたみなさん、ありがとうございましたー!!



♪BGM『サウンド オブ サイレンス』サイモンとガーファンクル
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